育った環境に起因するのか、それともたんに性格なのか…恐らくはどちらもでしょうが、子どもの頃から「何者かになりたい」と強く、漠然と思っていました。
「何者かになりたい」と強く思った子ども時代
何者か、なんていうとものすごく漠然としているのですけど、めちゃくちゃ端折って簡単に書くと「特別な存在」。
私がそこに存在していい理由をはっきりと手ごたえとして得たかった。存在しているだけで、意味や価値があり、ありがたがられる人として安心したかった。
子どもの頃の自分を分析すると、ここに集約します。
子ども好きの父から、私たち姉弟はとても可愛がられ優しくされて育ちましたので、父にとって私は間違いなく存在して良い存在で、誕生しただけで価値と意味があったと思います。
一方で母からは散々な目に遭わされてきましたので、私たち姉弟が…私が、この家族の中に居ていい意味、この地球上に存在した意味や理由のようなものが、手ごたえとして感じられなかったんですよね。
ですので、「特別な何者かになりたい」という願望が、胸が焦げつくほど強かったんだと思います。書いててなんだか恥ずかしいです。笑
父の愛情と母の否定から生まれた思い

今さら説明することでもないのでしょうが、子どもにとって「母子関係」って情緒の成長に大きな影響がありますし、大人になってからもその影響は良くも悪しくもはかり知れません。
こちらでも何度か書いていますし超不人気インスタでもポストしていますが、20代半ばくらいから始めた「毒親連鎖を断ち切るカウセリング」により、そのあとはとても生きやすくなりましたし、
自分の人生を歩いている実感
生きている、ただそれだけでいいんだ
と思えるようになったので、「何者かになりたい」だとか「特別な存在になりたいのになれない」といった思考の支配から解放されて自由になり、とても楽になれました。
特別な何者かになりたいのになれないジレンマ
けれど、若い頃はこのジレンマにもがきました。
父は医師でしたし母は医者家系(母自身は専業の主婦)ですので、生活水準的には高い方だったと思います。けれどご近所も、学友も、周囲が似たような水準なので自分がとくべつに恵まれていると感じたことがないため、そこで「特別感」を得られることはありませんでした。
外見もそうです。多くの方の目にキラリと光る容姿はしておりませんし、なんだったらコンプレックスの方が多かったくらいです。
勉強にしても、スポーツにしても、悪くはないけど特別に良いわけではない。全国平均で見ると上位グループかもしれないけど、学校内で見るととりたてて優秀というわけでもない。
そのため、成績で親から怒られることはないけど、とくだん褒められることもない。時々まぐれで90点をとれた時なんかは父はたいそう驚いて(笑)褒めてくれたけれど、母は「なんであと10点くらい頑張れないんだ」とか言ってくる人でした。
何者でもないから足掻き続けた

私はほんとーに何者でもなく、特別に価値のある人間ではないと長く思っていました。
丸い鼻が嫌いで、毎晩洗濯ピンで挟んで鼻筋を高くしようとしていましたし、奥二重よりもぱっちりした二重瞼になりたくて「糊」で瞼にクセをつけようとしていました。※アイプチやメザイクが今のように一般化していなかったんです
少しでも脚が細く長く見えるようにと、お風呂上りに毎晩、1時間を費やしてベビーオイルでマッサージをしていました。国内では「特別」になれないから、今ほどに留学が盛んではない時代背景もあいまって「海外でなら、日本人女性として特別になれるだろう」と見通しを立てて英会話教室にも通っていました。
無様なほど、愛くるしいほど、特別な何者かになりたくて必死でした。
今から10年くらい前ですかねー。弟である長男が、「お姉ちゃんはお父さんとお母さんにとっていつも特別な長女だった。嫌なこともあっただろうけど、いつも両親の関心をひとり占めしていた。俺の方が誰からも認められていなかった、関心さえ寄せられていなかった」と激白。
もう一人の弟もそれに同調するように、「そうそう! だからアニキはめちゃくちゃ病んでたもんね」と苦笑い。
衝撃でした。
長弟の病みっぷりについては機会があれば書くとして、同じ親を持ち、ひとつ屋根の下で育った弟たちの目にはそんな風に見えていたのかと。
彼らもまた、両親にとって特別な存在でいたかったんだと知りました。特別というと言い過ぎ感があるので、正しくは「息子として生まれてきてくれた、ただそれだけで幸せだ」と手放しで存在を認められたかったんだなと。
思春期の「何者か」への焦がれと親の役割

思春期って「自分は何者であるか」「自分がうまれてきた意味は」「自分にはまだ未開発の特別な能力があるのではないか?!」という部分に心がフォーカスしがちなところがあると思います。その時に、
何者でなくても、ただ愛しくてありがたい✨
と、親や大人は、その子が「分かるように伝える方」がいいのかもしれないですね。日本人特有の言わなくてもわかるだろう、は、親や大人のやや横暴かもしれません。
なぜなら子どもはその年齢分しか生きておらず、年齢分しか人生経験がなく、自分を生きることに必死ですから「言わなくても」の部分に思いを巡らせることはとても難しい気がします。
特別な何者かになりたいのになれないジレンマを越えて、3人の子を持つ親となった今はとくにそう思います。人生の前半戦は過酷すぎたから、後半戦の今は、1年に1回あるかないかの「ボーナスタイム」と、比較的おだやかな毎日で――神様が帳尻を合わせにきてるな、って。