ある日を境にADHD特性のある患者さんから届くメッセージの文末に「読んでいただけたら幸甚です」「次回のカウンセリングでお話しできれば幸甚です」「先生の患者でいられて私は幸甚です」と、幸甚が咲き乱れるようになった。
こういった現象は時々起こります。あくまで私の診てきた患者さんや相談者のかた、そのなかでもとくにADHD特性傾向にある女性に見られるという印象がありますが、もちろんその限りではありません。
ハマる単語、ハマる言い回し~言葉の模倣

取引先の仕事のできる担当者の方から届いたメールに「幸甚です」と書かれてあったので、うわ~なんかかっこいい~♡と思ったので真似しちゃってます。

なるほど!
ADHDの特性を持つ方が「真似」や「模倣」をする背景には、『憧れの人』や『自分のアンテナに引っかかったセンスの良い人』『自分がなりたい人物像』がそれを使っている。それよりよりさらに魅力的に見えるからというのがあります。
それは単純に新しいものへの強い興味や好奇心というのとは少々違います。

あくまでも対象は「人」。その人が、自分が初めて目にするカッコいい単語やオシャレなフレーズを使っているから「自分も使ってみたい!」という衝動に繋がります。
- 憧れの人が使っているなんだかカッコよさげな単語
- 勉強のできる人が使っている、賢そうに聞こえるフレーズ
- 最先端のオシャレな人達のあいだで流行っている言い回し
- 人気の女子がよく使っている絵文字やスタンプ、リアクション
- 人気の女優さんがドラマの中で用いちている「キラーフレーズ」
これらに憧れたり強く影響をうけて、思わず取り入れたくなる気持ちは理解できます。
「あの人みたいに知的に見られたい!」「聡明に思われたい!」「憧れのあの人のようになってみたい!」など、自分が良いと感じた新しいものを素直に取り込もうとするエネルギーは、ADHD特性の大きな魅力のひとつと言えます。しかし――。
真似と模倣の「限度」を知ろう|真似される側の気持ちを知っておくことも大切

学ぶ、という言葉は「真似ぶ」が語源だとも言われていますよね。
「いいな」と思ったものを素直に自分の中に取り入れ、まずはまねることから始める──これは体験型の勉強法として、とても効果的だと思います。
ただ、「真似」や「模倣」には限度があります。たとえば、あまりにもそっくりそのまま言葉や振る舞いを取り入れられると、真似される側は戸惑いを覚えることがあります。
「どういうつもりなんだろう」「ちょっと怖いな……」
「私のまねをすることで暗に何かメッセージを送ってきているのかな?」
(もしそうなら、はっきり言ってほしい……)、
「自分の大切にしている世界に踏み込まれた気がする」
など、さまざまな不安や不快感を抱いてしまうことがあるのです。
もちろん、真似をする側にはたいていのばあい、悪意はありません。むしろその逆で、強い憧れや純粋な興味から始まっていることがほとんどでしょう。それでも、真似や模倣をされる側にとっては、自分の表現や行動が「コピーされている」と感じることで、気味の悪さや不安感につながることも珍しくはありません。
真似を通じて学ぶ姿勢は素晴らしいものですが、そこに「相手がどう感じるか」という視点を少し加えるだけで、お互いがより安心できるコミュニケーションが生まれるはずです。
多くのばあい、人は「自分のアイデア」「自分の創造性」「自分のセンス」をアイデンティティの大切な一部と考えています。
それを真似されるという行為は、個性やセンスを「認めてもらえた証拠」と感じられる反面、「侵略された」「侵害された」という気持ちをいだくばあいもあるのです。そこで、例えば
- 真似をするとしても自分なりのアレンジを加えて「6割」くらいにとどめる
- 公の場で披露する内容はあらかじめ限定しておく
- 元の発信者をきちんと立てる ※「○○さんのアイデアを参考にしました」など
こうしたちょっとした配慮を心がけると、学びのための「真似」や「模倣」を上手に生かしつつ、相手を不安にさせないコミュニケーションができるのではないでしょうか♪