世間で推奨されている8つの説得方法が、当時72歳の父にはまったく効果がなく私達3姉弟は計画を0から練り直す必要があった。
過去2回の「免許返納を嫌がる親への説得・手順・包囲網」で書きましたが、巨大岩の如く、免許返納に心を動かす様子を微塵も見せない父にかつて溺愛された私も「父性愛の賞味期限切れ」を痛感した。
「他の誰の言うことをも聞かなくとも、真由が言えばあっさり免許を返納するだろう」と誰もがそう思っていた。私の以外の誰もが。
父親は長女に甘いという世の説を寸分も裏切らず、私は父に溺愛された。どんなわがままもどんな無理難題を投げつけても父は笑顔で受けとめてくれたものだった。
しかし年齢とともに父は頑なになっていった。心療内科の専門家である私の目に父は熟年離婚を経て、健康に長く生きることを手放した人のように見えていた。
影響の強い人と役割分担
私は3人姉弟の長女。姉弟仲はつかずはなれずだが、風通しは良い。
父への説得に向けて明確に役割を決めることにした。
- 姉(私):ガツガツ攻める役
- 弟Ⅰ:冷静なまとめ、進行役
- 弟Ⅱ:末っ子らしく和ませ役
- 夫(私の夫):ラスボス ※父にとってまるめ込めない相手
- 弟ⅠⅡの嫁達:父が“かっこ悪い”ところを見せたくない相手
- 孫3人(私の子ども):切り札
基本的には〔1~3〕で立ち回ることを家族会議で決めていた。
父にとって娘婿である私の夫は、自分の良き理解者であり大好きだけど、絶対にロジカルに勝てない相手。夫が出てきたら「もう逃げられない」と父もわかっているだろうからラスボス。
息子2人と娘は、当時は全員が学生だったため、「お父さんが万が一事故を起こして加害者になったら、孫の就職も結婚も未来も壊すってことだからね」と切り札に使う予定でいた。
どうにかしなければ、でも、まだ大丈夫
当時、私達は急いでいた。
1か月のあいだに2度の車体こすりと、ブレーキとアクセルの踏み間違いを2度起こしている父から1日も早く免許を取り上げなければとんでもないことが起きてしまうと、強い不安があった。
加害者家族になりたくないのは勿論のこと、医療に携わる者として当たり前に被害者や被害者家族をつくりたくなかった。それだけはなんとしても防ぎたかった。
70歳を過ぎてから、かなりの小さな歩幅で、上がらない足で歩くようになった父の頼りなさを目にするたびにできるだけ早く免許を取り上げなければと思っていた。
しかし私達姉弟は全員が地元を離れていて、父の足代わりになることができなかったこと、当時は熟年離婚前で母がそばにいたことなどから、どうにかしなければと思いながら「まだ大丈夫だろう」と高をくくっていた。
父の思いに耳をきちんと傾けなかった
「もういよいよダメだってこと、自分でもわかってるでしょう? 明日にも事故するかもしれないのよ?! 私達を加害者家族にするつもり?!!」
「お父さんは免許返納についてどう思ってる? いつ頃なら免許返納をしてもいいと思ってるのか聞かせてくれるかな」「責めてるわけじゃないからね、お父さんの気持ちを知りたいんだ俺ら」
文章で書くと詰めているように思えるかもしれないけれど、そこは事前にしっかりと役割分担を決めたので、ぐいぐい詰めるのは私だけ。まったく損な役回りである…。
私が詰めると父はだんまりを決め込むので、タイミングを計って弟Ⅰや弟Ⅱが優しく諭すように会話に入ってくる。飴と激辛の鞭を使いわけ、父が弟2人になら「口を開きやすいように」仕向けていた。
父には長く専任の運転手がいたため、父自身が免許をとったのは50代に入ってからと遅かった。記憶力や運動機能などが若い頃に比べるとうんと落ちているなかで、懸命に勉強して、自分よりも年下の教官に指導を受けながら取得した運転免許。
私達が思うよりはるかに、父にとってのそれは「努力の結晶」だった。だから自身が納得せぬまま奪われるように免許を返納するのは、プライドをはぎ取られるようにつらいことだったのだろう。
当時の“急いでいた”私達は、父のこの気持ちに寄り添うことができずにいた。とりわけ免許を持っておらず、乗り過ごしても数分で次の電車がやってくる便利な都市に暮らしている私は、まるでマリーアントワネットのように
「免許がないならタクシーを使えばいいじゃない」
「自家用車を売っぱらってバスに乗ればいいじゃない」
くらいの軽い感覚でいた。※ちなみに実家の目の前がバス停です!
新車に思いを馳せる父に激昂
「新しい車を買おうと思ってるんだ」
「はい?」
「サポート付きの車ならいいだろう、俺が金払うんだし」
「免許返せつってんのになんでわかんないの! それに今言うことじゃないでしょ!! 何考えてんの!!! 自分がおかれてる状況も理解できないくらい老いぼれてるなら馬鹿、もうとっとと〇んじまえ!!!」
仰せつかった役割は確かに「ガツガツ攻める役」であるけれども、それにしたってゴジラの咆哮のように口から炎が噴出して、言っちゃいけないことまで言ってしまった。腐っても私は医療者だった、ついうっかり。※免許返納で親と揉めるとイライラが募って性格が一時的に悪くなります(笑)
加害者も被害者も悲しむ家族もつくらないようにと、忙しい合間を縫って新幹線に飛び乗って話し合いにきているのに、本人だけが意図的なのか無神経なのか当事者意識を欠落させている。
「この場に相応しくない発言なら言わずに飲み込もう――。そういう自制すらきかせられず発言してしまうくらい老いた脳なら、なおさらもう車の運転はさせられないわね。サポカーを買った程度では事故は防げないわよ」
「俺からなにもかも取り上げるつもりか!」
「父親が人に危害を加える可能性が高い危険物を扱っているなら、それを防ごうとするでしょ! 当然でしょ!」
「取り上げようとしてるわけじゃなくて、どうすれば免許返納をしてもお父さんが生活に困らないかを考えようとしてるんだよ俺達は」
「実家の目の前と病院の目の前にバス停があるんだからさ、ドアtoドアだよ? こんなに便利なことってほかにないのに、どうしてバスがそんなに嫌なのさ?」
「…もう帰ってくれ」
第三回話合い予定日の3日前、弟Ⅰに2本の電話が入った。免許返納を頑なに拒む父も了承のうえで予約を入れていた眼科と脳神経外科から
「お父様からキャンセルの連絡をうけましたが、よろしいですか?」
よろしいわけがないべな! 続く💦
⦁ 2021年06月09日(水曜日)初回話し合い
⦁ 2021年06月24日(木曜日)第二回話し合い
⦁ 2021年07月18日(日曜日)第三回話し合い
⦁ 2021年08月05日(木曜日)ディーラー/レンタカー業者に依頼
⦁ 2021年08月10日(火曜日)保険会社に連絡
⦁ 2021年09月02日(木曜日)第四回話し合い
⦁ 2021年09月15日(水曜日)廃車専門業者に依頼~手続き
⦁ 2021年10月03日(日曜日)決別
⦁ 2022年01月12日(水曜日)警察署へ自主免許返納