前回は、愛するペットとの別れがもたらす深い喪失感と、どうしても消えない後悔についてお話しました。
ペットロスの中でも特に心に重くのしかかる「もっと~してあげられたことがあるのでは…」「あの時~していたら…」という思いと、失った存在への深い愛情。
その感情にどう向き合い、自分を責める気持ちから少しずつ解放されるための考え方や、私自身の経験を通して学んだことを共有しました。
懐古(かいこ) – 過去の楽しい思い出を振り返る
「あの子」を失ってしばらくの間は、それを旅立ちだと受けいれることができませんでした。喪失があまりに強く、心がつねに彼女を求め、探していたからです。
1時間前は心臓が動いていたのに。
6時間前はぬくもりがあったのに。
1日前は生きていたのに。
7日前のこの時間に心音が聞こえなくなってしまった。
時間の経過を数えては涙がつぎつぎに溢れ出ました。あの子が呼吸をとめた朝は昨日のことのようであり、ずっと遠い過去のようでもありました。
四十九日までは泣くことにした
あまりに耐えがたく、受けいれられない悲しみに一筋の救いを求めてインターネットで検索をかけました。「ペットロス 乗り越え方」「ペットロス 後悔」「ペットロス 苦しい」「ペットロス いつまで――」
誰かの経験談を読んでは泣き、誰かの喪失感に同意しては泣き、涙が枯れることはありませんでした。
『四十九日までは視えないだけでそばにいる』
お寺のご住職が書かれたブログだったでしょうか。そのように書かれてありました。離れがたいのはあの子も同じですと、文章は続いていたように思います。
あなたが「やり残したことがたくさんある」と悔いていることも、あなたが「もっとお散歩に連れて行けばよかった」と嘆いていることも、
あなたが「もっと撫でればよかった、もっと抱きしめればよかった」と後悔していることも、あなたが「些細ないたずらをあんなにも怒らなければよかった」と猛省していることも、あの子はすべてわかっています。
と、ご住職は書かれていました。
頸椎ヘルニアで後ろ足に麻痺が出て歩行が困難になったあの子を、スリングに包んで胸に抱いて散歩していた頃を思い出しました。
もう二度とあの道は歩けないと思っていたけど、視えないだけでそばにいるというのが本当なら、カタチがなくなっただけで魂はまだそばにいるというなら、彼女は大好きだった散歩をしたがっているんじゃないだろうか――。
散歩用の斜めかけバッグにあの子の首輪を入れて、玄関を出ました。
歩行障害が起きていた彼女は、それなのに自ら動きたがっては、ときどき転倒していていたから彼女の動作を音が報せてくれるように首輪に鈴をつけていました。
ご先祖供養をお願いしている寺で与った御守りの鈴は、私の歩行に合わせてチリンと愛らしい音を立てました。視えないけれど一緒に歩いている、彼女はもう一度歩けている。うれしくて、さみしくて、やっぱりうれしかった。
癒着(ゆちゃく) – 心の中で強く繋がっていることを感じる
初盆を終えて秋がきて、翌日に百箇日を迎える予定の早朝に夢を見ました。
明るい茶色のカゴバッグを口に咥えた彼女が家を訪れ「あとはよろしく」と言うように玄関前にそれを置き、一度だけ振り返って光の中に消えていく夢でした。彼女を先導していた老人に見覚えがあるような気もしましたが、人違いかもしれません。
2日後、年老いた独り身の飼い主を亡くした子犬の引き取り手を探していると地主の奥さんがやってきました。こげ茶色のプラスチックのキャリーバッグに入ったその子は興味深そうにクンクンと鼻を鳴らしています。
「何歳ですか?」
「ここに書いてあるわよ、1歳8か月だって! 飼ってもらえる?」
「いえ、あの…」
「生まれ変わりかもしれないわよ」
生まれ変わりって、うちの子が亡くなる前にこの子は生まれとるがな。
「うちは猫がいるから飼えないのよ」
「あぁ…」
「道具とかハウスとかもう処分しちゃったの?」
「いえ、ありますけど」
「じゃあもういいわね! この子は真由さんちの子! ね!」
あの夢が正夢だったのか。それとも地主の奥さんに押し付けられただけなのか。おそらくは後者なんだろうけど、それでもあの子に託された命のような気がしました。
こんなにも悲しいならもう二度と飼わないと決めたばかりだったのに、たった3ヶ月で命のバトンを受け取ってしまっていいのだろうかと懐かしいぬくもりと重さに鼻の奥がつんとしました。
再生(さいせい) – 新たな一歩を踏み出そうとする気持ち
心療内科に20年勤めています。
患者さんの中にはペットロスに苦しむかたも珍しくありません。
もちろんそのつらさには個人差がありますが、鬱を発症するかたや後追いをしようとされるかたもおられるくらい、ペットロスの悲しみは深いです。それは、産んだわが子を先にみおくらねばならないような苦しみとほぼ同じだから。
「あの子の代わりはいない」と涙を流されるかた。
「もう二度と失いたくないから」と嗚咽を漏らすかた。
「私のところにこなければ、あの子はもっと長生きができたかもしれない」と打ちひしがれるかた。
ペットロスの患者さんたちの張り裂けそうな胸の痛みはどれも、すくなくとも過去に5度、経験したものだからそれこそ痛いほど理解ができます。
幸せになるために生まれてきたのに、様々な事情でそれが叶わず『待っている子たち』は多くいます。保護猫・保護犬の里親になる道もあれば、彼らを陰日なたに支援する活動や、“預かりボランティア”という共存の仕方もあります。
一度でもあの子たちに幸せにしてもらった人間は、もうあの子たちなしでは幸せを感じられないという話も聞いたことがあります。
「飼う、飼わない」以外の選択肢もいくつもあります。もう一度、あの優しい毛並みに触れてみてもいいんですよ。
と、私は「二代目」を受けいれるべきなのかを迷っていた時に、獣医さんからかけていただいた言葉をそっくりそのまま伝えています。
11月28日朝5時34分。3人掛けのソファを1匹で占拠し眠っている、5歳の保護犬の丸くて可愛い後頭部を眺めながらこのコラムを書きました――。
言葉の説明
四十九日
四十九日(しじゅうくにち)は、ペットが亡くなってから49日目に迎える節目の日です。この期間は、ペットの魂が新たな世界へ旅立つ準備をしているとされ、特に供養が大切だとされています。
家族や友人と集まり、ペットへの感謝や思い出を語ることで、心を整理する機会となります。形にこだわらず、写真に話しかけたり、お花を供えるだけでも十分です。
百箇日
百箇日(ひゃっかにち)は、ペットが旅立ってから100日目の節目です。喪失感が少し和らぎ、日常に戻りつつある頃に訪れます。
この日は、悲しみを抱えながらもペットとの絆を再確認し、感謝の気持ちを込めて供養する大切な機会です。お仏壇に手を合わせたり、写真や思い出を振り返るだけでも心が安らぐでしょう。
預かりボランティア
預かりボランティアは、新しい飼い主が見つかるまでの間、保護されたペットを一時的に預かる活動です。保護施設が不足している場合や、個別ケアが必要なペットにとって重要な役割を果たします。
愛情を注ぐことで、ペットが安心して新しい生活を始められる準備を整える手助けになります。自宅でできる支援として注目されています。