心療内科で働くようになって20年になります。
前回の精神疾患はブームに乗ってやってくる〔ビリーミリガン編〕につづいて今回は――日本のみならず世界中を震撼させたカリスマシリアルキラーを紹介します。
彼の名はハンニバルレクター。
レクター博士と呼称する方が認知が広いかもしれません。
彼は著名で優れた精神科医でありながら、一方では食人嗜好を持つ冷酷で残忍なシリアルキラー。
「サイコパス」という言葉が一般に広まるきっかけの1人でもあると思いますが、もちろん実在する人物ではありません。レクター博士は『羊たちの沈黙』という映画の中に登場します。
羊たちの沈黙とは?
若きFBI訓練生クラリス・スターリングが連続殺人犯を追うサスペンス映画。
彼女は事件解決のため、かつての精神科医で現在は投獄されている天才的な犯罪者ハンニバル・レクター博士の助けを借りることに。クラリスとレクターの心理的な駆け引きが、物語に緊張感を与える珠玉のミステリーです。
レクター博士が世界中の人を魅了した3つの理由
反権威的なカリスマ性
レクター博士は、極めて高い知性と洗練された態度で、法や規範に対する挑戦者のような存在感を持っています。
主な視聴層である若い世代は自己の確立や反抗心を抱く時期でもあり、こうした反権威的なキャラクターに共感しやすいと考えられます。
知性と恐怖の融合
レクター博士の高度な知性と冷徹な恐怖が融合したキャラクターは、単に暴力的な犯罪者ではなく、精神的なスリルを提供します。
若い視聴者はしばしば知的な挑戦やスリルを楽しむ年齢であるため、レクター博士の巧妙さや深い心理戦に魅了されたと考えられます。
魅惑的な二面性
レクター博士は芸術にも精通する高貴な側面を持ちながら、それでいて恐ろしい残虐性を内包しています。
この二面性が単純な悪役とは異なる深みを与え、若い層の好奇心をかき立て、類をみない悪役として世界中を魅了したのです。
レクター博士への憧れと投影
精神疾患やその概念が、メディアや文化的なブームに影響を受けることはままあると私は考えます。
『羊たちの沈黙』のレクター博士の例はまさにそれで、自己の存在価値や存在意義に鬱屈したものを抱える若い世代の一部や、肥大しすぎた自己イメージを持つ者たちは、映画の中のレクター博士に自己を投影させました。
レクター博士が強く支持された理由のひとつとして、『歪んだ万能感』も重要なファクターだと私は考えます。彼はわずかな情報から人物像を絞りこむプロファイリングの能力にも長けているなど類まれなる知性や才能を持ちながら、欲望に忠実であり、他者の命や道徳を超越しているかのように振る舞いました。
又、すべてを制御できるかのような感覚を持ちながらも、それが社会的に破滅的な結果を招くという危うさを備えています。
この絶対的な力を持ちながらも倫理を超越する姿が自我形成期の若い世代にとって、禁断の魅力を感じさせたのだと思います。ひと頃「自称レクター」や「レクター風」が増えたのはそのせいだと私は思っています。
自称レクターの増加~羊よりもおまえが黙っとれ
自身を有能であるかのように語る患者さんはどの時代にも一定数、必ずいらっしゃいます。
ですので我々はとくになにも思いません。慣れっこです。彼らの「俺万能」「私万能」「先生はもっと頑張った方がいいよ」と言ったトークにも「ほんとだね~」「頑張らなきゃだね~」とつきあいます(笑)
『羊たちの沈黙』が世界中で大ブームを巻き起こし、レクター博士がカリスマとして崇められていた当時は私は学生でした。
前回のビリーミリガン同様、自称レクター博士のように振舞う若者はやはりいたのです。彼らは頼んでもいないのに、こちらの外見や少しの発言からプロファイリングを開始しました。はた迷惑なことに――。
「君がもしも〇〇で高級ディナーをとるとすれば、どんな服装でいくだろうね」※〇〇=日本有数の高級ホテル
「君って(笑)そりゃ普段よりはおめかしするよ」
「はは~ん。君は内心、自分に自信がないね」
「はい?」
「本当に自分に自信があればTシャツにジーンズでもいいはずだ。そうだろう? 人からどう思われるかを気にしているから、背伸びをするんだ。そうだろう?」
「TPOだけどね…」
「いいや、君は自分に自信がない!」
「自信の問題じゃないけどね、ティーピー…」
「違う! 本当の君は思っているはずだ。自分はなんて無能なんだと」
「思ってないわ、失礼な(笑)」
今時の言葉で言うなれば「自称サイコパス」。当時「自称レクター」は本当に多かったの。私の周りだけかなあ。やだなあ。
レクター博士を気取っているから「君」とか言ってさ(笑)斜め上の珍プロファイリングで相手を決めつけ失笑を獲得してたなー。
中二病といえば中二病なんだけど、中には少数…自分には本当に多重の人格があると思い込んで来院するかたや、本当にレクター博士のような部分が自分にはあると思い込んで来院する方がいらっしゃいます。
シリアルキラーやサイコパスというのは、どうにもキャッチーで一部の人たちに強い自己投影をさせてしまうみたいです。