二分脊椎とASDの32歳の女の子[7]おむつをうけいれられない
「二分脊椎症」という病気と「ASD」という発達障害、2種類の生きづらさを持つ奏多さんへの関わり方を決めた私は、彼女の「最も悩みの種」となっている、うまくいかない自己導尿についてヒアリングを開始することにした。
――正直に言うとヒアリングをする暇などなかった。
なぜならわざわざヒアリングなどしなくても来る日も来る日も朝から晩まで、奏多さんからは自己導尿の失敗報告とそれに対する弱音や愚痴、イライラが次から次へとメッセージで届いたからだ。
そのなかで、奏多さんが何度も繰り返し私に問いかけたものがある。
「おむつは恥ずかしいことですか?」
「先生、尿意ってどんな感覚ですか?」
「ふつうの人は尿意があるから、失敗しないですよね?」
彼女はこれまでの人生で、幾度となく繰り返してきたのだろう。それこそ何十回ではきかない、何百何千と自分を追いつめてきたのかもしれない。
おむつは恥ずかしいことだ。
ふつうの女性はおむつをして日常生活を送っていない。
尿意を感じることができれば、こんな失敗はしなくてすんだ。
どうして自分には尿意がないんだ。どうして自分は、なぜ私は……。
クリニック勤務を終えて犬の散歩をしていた夜だった。
「おむつは恥ずかしいことですか?」
いったい何十回目になるだろう。奏多さんのカウセリングを受け持つようになって、まだひと月と経っていなかった。
「恥ずかしいことじゃないでしょ」
「それはなぜですか? 私が二分脊椎だからですか? おむつをしないと漏らしてしまうから仕方ないですか?」
「おむつやパットはあなたに必要なただの装飾品」
この日をさかいに奏多さんが「おむつは恥ずかしいことですか?」と聞いてくることはなくなった。
私の回答が気に入らなかったのか、それとも気持ちに寄り添ってくれない役立たずな先生だと思われたのか。それともこの回答をほんの少し気に入ってくれたのか。
本当の答えは彼女にしかわからないけど――。