二分脊椎とASDの32歳の女の子[8]失禁と葛藤
「おむつは恥ずかしいことですか?」
「恥ずかしいことじゃないでしょ」
「それはなぜですか? 私が二分脊椎だからですか? おむつをしないと漏らしてしまうから仕方ないですか?」
「おむつやパットはあなたに必要なただの装飾品」
これはわたしの本音だった――。
人は人生のステージ毎に、誰でも必需品が変わっていく。その必需品はときに身に合わなかったり、装飾するには“重すぎたり”もする。
医療者であった父が失禁するようになったのは、彼が70歳を迎えたばかりの頃だった。医療従事者の多いわたし達家族はあたりまえのようにパットやおむつの装着をすすめたのだけど、彼は頑なにそれを拒んだ。実に3年間も拒みつづけた。
わたしの夫は2年前からパットをボクサーパンツに装着して日々を快適に過ごしている。「失禁してしまうかも! ズボンに染みてしまうかも! とひやひやしながら生活していたことを思えばなんと快適か! 安心か!」
と、彼は自分の意思で――もちろん人知れず悩んだり迷ったこともあったろうけど――パットを購入し、染みると目立つ“淡いグレーのボトムス”を穿いて毎日職場に向かっている。
コメディカルの多くは知っている。
言わない、言えないだけで、だから知られていないだけでパットやおむつを装着しながら生活している人の数は思うよりも遥かに多いということを。
けれど当事者は「自分だけに違いない」と悲嘆にくれてしまう。ましてやそこに病気や怪我が理由に在れば「どうして自分だけが……」と永遠に答えの出ない問答を繰り返してしまうものだということも。
自分以外にも、似たようなつらさを抱えて生きている人がどれだけ多くいると知ったとて、だからといって気持ちが軽くなることは一瞬たりともないんだということも、わたし達医療従事者は知っている。