免許返納をかたくなに拒む父への説得材料のひとつになればと予約した、眼科と脳神経外科から「お父様から予約のキャンセルの連絡をうけました」と事後報告が入り、私達姉弟は落胆した。
父の行動の理由は明らかだ。
自動車運転をする資格を体が満たしていないことが、白日のもとに晒され、自身でもそれを認め受け入れなければいけないことが怖いからだ。
しかし父のこの行動がなおさら、私達の結束と意識を高めた。疑いようもないほど、父は免許返納を急がねばならない高齢ドライバーになっている。父が加害者になるまえに、なによりも被害者と被害者家族をつくらないために急がねばならない――。
免許返納家族会議|第三回話し合い2日前
多くの人々が老いを自覚し始める50歳を過ぎて自動車免許をとった父は、その達成経験を通じて「自己効力感」を高め、強く誇りに思っている。
達成経験の証明となるものが「自動車免許」。それを取り上げられるということは、車を取り上げられることよりも痛いに違いない。
車が必要ない環境の提案も候補のひとつに
弟Ⅰ「つまり…?」
姉(真由)「つまり、こうよ。免許はとりあえずもったままでいいから、運転できない状況を作る」
弟Ⅱ「廃車にする?」
姉(真由)「それもひとつだけど、車に乗らなくて済む状況にする」
弟Ⅱ「ライドシェア? 誰かに頼むの?」
姉(真由)「ううん、自宅を病院の徒歩10分圏内に持ってくる」
弟Ⅰ「どうやって?!」
姉(真由))「問い合わせたらここの施設に少し前に空きが出たらしいの、いい施設よ。もう下見してきたわ」
春先に比較的近隣に巨大な施設ができたらしく、入居待ちをしていた人々とその家族がどうやらそちらに流れたらしい。
施設も設備も最新とは言えないけれど、よくない噂は聞いたことがないその施設は月額費用などが手頃とはいえないまでも高級ともいえない。なによりも「食事がそうとう美味」らしく、父の勤務先である病院とは目と鼻の先というありがたさだ。
弟Ⅰ「そこに入居ができれば、車に乗る必要が激減する…!」
姉(真由)「そう。ただし…」
弟Ⅱ「ホーム入居を嫌がりそうだなあ」
姉(真由)「そうなの。だから向こう2ヶ月、仮予約という形でおさえさせてほしいと頭を下げてきたわ」
免許返納を嫌がる父がホーム入居をあっさり快諾するとは思えない。むしろ自分を老人扱いし、厄介者払いをされていると思い込みさらに心を閉ざすに違いない。
いざとなったらすぐに動けるように、お膳立てだけは済ませておきたい。それまでは施設のことはくれぐれも知られないように。
親世代の老後意識の変化
仕事柄、『今時の60代』の方々と話す機会は多い。今後のことをうかがうと、子ども達の負担にならないようにご夫婦での高齢者サービス住宅への入居を考えておられる方々や、
子ども達や孫に面倒をかけて嫌われたくないからと「〇歳になったら実家を畳んで施設に入る」とすでに申し込みを済ませておられる方々がとても増えていらっしゃる印象です。
しかしやはり上の世代となると、施設入居を厄介者払いされたという風にうけとられる方々が依然として多いですね。免許返納とともに「息子娘世代 ※4~50代」を悩ませる大きな問題です。
余談ですがうちの母は自身が住みたい高齢者サービス住宅を探して、見学、予約、支払いを事前に済ませており70歳になったのを機に入居して悠々自適に暮らしております。
免許返納家族会議|第三回
そうして迎えた、免許返納家族会議の第三回目。我々姉弟は事前の打ち合わせ通り、基本に立ち返ることにした。
「お父さんにとって車はどのくらい必要なものなのか」
父の率直な思いに耳を傾けず、ただ闇雲に「あれはダメ、これもダメ」と言い過ぎた――事故防止に向けて焦りがあった――と私達も猛省したのである。
免許返納を拒む父の言いぶん
⦁ 通勤に必要
⦁ 眼科と皮膚科に行く時に必要
「あとは? 買い物とか」
「買い物は…この子に任せてる」と父は私を指さした。
母と熟年離婚をしてから、父の食生活や日用雑貨の注文は私が行っていた。必要なものは父の暮らす街のネットスーパーやAmazonや楽天を通じて、私がオンライン発注を済ませていたし
週に1度、1週間分の朝食と夕飯をまとめてつくり、冷凍保存をして実家に送り電子レンジで解凍すればいただけるようにもしていた。
万が一の買い忘れなどがあったときに対応していただけるよう、両隣りのご家族や父の経営する病院の看護師長さんにもご挨拶や“付け届け/お中元やお歳暮他”も行っている。
⦁ 通勤に必要
⦁ 眼科と皮膚科に行く時に必要
眼科は父の病院から徒歩で行ける範囲だし、皮膚科は――。
「皮膚科にはなにを診ていただきに行ってるんだっけ?」
「あなたに肌が乾燥してしわくちゃだって言われたからクリームを塗ってるんでしょうに」
「ああ(笑) じゃあこっちで買って送るわよ」
「効くのか?」
「そりゃそうでしょ(笑)ところでお父さんって免許と車どちらか1つを選ぶとしたらどっち?」
「どういう意味だ? 免許がないと車に乗れないんだから2つはセットだろう」
高齢ドライバーの父が手放したくないのは?
「手放したくないのはどっち?」
「…質問の意味が分からん」
憮然としているように見えるけれど、父は質問の意図を反芻している。私の読みが正しければ父は免許を選ぶに違いない。さあ、どっちだ。
「免許証は身分証明書になるだろう?」
「そうね」
「だから返せないだろう?」
「返納したら身分証明書になる、運転経歴証明書をもらえるのよ」
「…そうか」
「免許証と同じようにお財布やカード入れに入るサイズよ」
「…そうか」
「この人はきちんと勉強をして免許を取得し、そして自主返納を済ませた立派な人だという証よ、運転経歴証明書は。前向きにゆっくり考えておいて」
⦁ 2021年06月09日(水曜日)初回話し合い⦁ 2021年06月24日(木曜日)第二回話し合い
⦁ 2021年07月18日(日曜日)第三回話し合い
⦁ 2021年08月05日(木曜日)ディーラー/レンタカー業者に依頼
⦁ 2021年08月10日(火曜日)保険会社に連絡
⦁ 2021年09月02日(木曜日)第四回話し合い
⦁ 2021年09月15日(水曜日)廃車専門業者に依頼~手続き
⦁ 2021年10月03日(日曜日)決別
⦁ 2022年01月12日(水曜日)警察署へ自主免許返納