精神疾患はブームに乗ってやってくる?
精神疾患やある種の心理的特性は、まるで「ブーム」のように定期的に社会で注目を集めます。
数年前に「HSP(Highly Sensitive Person)」という言葉が広まり、「自分はHSPかもしれない」と相談者が一時的に増えたように。
こうした「ブーム」は時に「自分の長年の生きづらさはこれだったのか!」という自己発見と安堵をもたらす“光”の側面があります。
一方で、「もしかして自分も…?」という漠然とした不安を掻き立てたり、安易な自己診断によってかえって問題を複雑にしてしまったりする“影”の側面も併せ持っているのではないか――。
このコラムでは、かつて世界に衝撃を与えたビリー・ミリガンの事例や、近年のHSPブームなどを糸口に、精神疾患や心理的概念が社会で注目されることの光と影、そして私たちが情報とどう向き合っていくべきかについて、改めて考えてみたいと思います。
衝撃の拡散:ビリー・ミリガンと「多重人格」ブーム
1970年代後半、アメリカで複数の女性に対する深刻な性犯罪で逮捕されたビリー・ミリガン。彼が解離性同一性障害(当時は多重人格障害と呼ばれていました)であり、24もの異なる人格を持っていたという事実は、世界中に衝撃を与えました。
ダニエル・キイスによるノンフィクションはベストセラーとなり、映画化の話も持ち上がるなど、「多重人格」という言葉は一躍、人々の知るところとなります。
このセンセーショナルな事例は、解離という複雑な精神現象への関心を高めた一方で、ある種の「ブーム」のような状況を生み出しました。メディアはこぞって取り上げ、フィクションの世界でも多重人格をモチーフにした作品が数多く登場します。良くも悪くも、「多重人格」という言葉とイメージが、本来の複雑さや当事者の苦悩から離れて、一人歩きを始めた側面は否めません。
これは、決してビリー・ミリガンの事例に限った話ではありません。歴史を振り返れば、ヒステリー、神経衰弱など、時代ごとに注目を集める「病」がありました。そして現代、私たちはまた新たな「ブーム」の渦中にいるのかもしれません。
「これだったのか!」- 自己発見の光とHSPブーム
数年前から、日本でも「HSP(Highly Sensitive Person)」という言葉が急速に広まりました。
「些細なことに気づきやすい」「刺激に敏感」「共感力が高い」といった心理概念を持つとされるHSP。多くの書籍が出版され、SNSでは当事者たちの発信が活発になり、メディアでも頻繁に取り上げられました。
このブームは、多くの人にとって“光”となりました。
これまで「神経質すぎる」「気にしすぎ」「打たれ弱い」と周囲から言われたり、自分自身を責めたりしてきた人々が、「これはHSPという気質だったのかもしれない!」と気づくことで、長年の生きづらさに名前がつき、自己肯定感を取り戻すきっかけになったのです。
「自分だけじゃなかったんだ」という安堵感や、同じ気質・同じ生きづらさを持つ人との繋がりは、大きな支えになったことでしょう。クリニックに「自分はHSPだと思うのですが…」と相談に来る方が増えたのも、自身の抱える困難を理解し、より良く自分らしく生きたいと願う切実な思いの表れだったと言えます。
このように、特定の精神疾患や心理的概念が注目されることは、これまで見過ごされてきた苦悩に光を当て、人々が自分自身や他者を理解する手助けとなる、ポジティブな側面を持っているのです。
「これに違いない…」- 不安と誤解の影
しかし、光があれば影もあります。「ブーム」は時として過熱し、本来の意味から離れた解釈や、安易な自己診断を助長する危険性を孕んでいます。
HSPブームにおいても、「自分はHSPだから〇〇できない」「あの人はHSPっぽくない」といったラベリングや、「HSP診断テスト」のようなものが手軽に広まることで、専門的な知識がないまま自己判断し、かえって不安を募らせてしまうケースが見られました。
本当にHSPの症状に苦しむかたがたをターゲットにしていると思しき、HSPビジネスも雨後の筍のように増えました。…すごく嫌だったわ…(本音)。
「もしかして自分も深刻な問題を抱えているのでは?」と思い詰めたり、あるいは「HSPだから仕方ない」と、本来解決できるはずの問題点や生きづらさから目を背けてしまったりする可能性も指摘されています。
また、ビリー・ミリガンの事例のように、センセーショナルな部分ばかりが強調されると、その疾患や特性に対する誤解や偏見が広まるリスクもあります。
「多重人格」という言葉が、一時期、猟奇的なイメージと結びつけられがちだったように、HSPもまた、「扱いにくい人」「社会不適合」「できないことを言い訳にする人」といったネガティブなレッテル貼りに利用される危険性がないとは言い切れません。
精神疾患や心理的な特徴は、非常にデリケートで複雑なものです。インターネットや書籍で得られる情報は玉石混交であり、自己判断は時として危険を伴います。「自分はこれかもしれない」と感じたときに、それをきっかけに専門家(医師や心理士など)に相談するというステップを踏むことが、本来は非常に重要です。
情報との健全な付き合い方
私たちは、精神疾患や心理に関する情報を、どのように受け止め、活用していくべきでしょうか。
まず大切なのは、「ブーム」に踊らされず、冷静な視点を持つことです。
注目されているからといって、それが自分に当てはまるとは限りませんし、すべての情報が正しいとは限りません。特に、診断や治療に関しては、信頼できる情報源(公的機関・医療機関・専門学会など)を確認し、安易な自己診断に飛びつかないことが重要です。
そして、知識を「自己理解のツール」として活用する意識を持つこと。
HSPの概念がそうであったように、知識は自分の特性や生きづらさを理解し、受け入れる助けになります。しかし、それはあくまで「理解」のためであり、「自分は〇〇だから××だ。できなくても、頑張れなくても仕方ないんだ」と可能性を狭めたり、他者を安易に分類したりするための「レッテル」として使うべきではありません。
最後に、もし本当に悩んでいるのなら、専門家を頼ること。
生きづらさや心の問題を抱えていると感じたら、一人で抱え込まず、精神科医や臨床心理士などの専門家に相談する勇気を持ってください。適切な診断とサポートを受けることが、解決への第一歩となります。
ビリー・ミリガンの衝撃から数十年、そしてHSPブームを経て、私たちはこれからも様々な精神疾患や心理的概念の「ブーム」に遭遇するかもしれません。それは社会が人の心への関心を深めている証拠でもあり、決して悪いことばかりではありません。
大切なのは、その光と影の両面を理解し、情報に振り回されるのではなく、自らのより良い人生のために、知識を賢く、そして慎重に活用していく姿勢だと私は思います。
本記事では、実在の人物ビリー・ミリガンのケースをもとに、精神疾患の揺れ動く過程や心の回復について考察しました。実際の精神医療においては、専門家による適切な診断や支援が不可欠です。正確な情報や統計については、以下の公的機関・資料をご参照ください。
・厚生労働省|こころの情報サイト
・Wikipedia|解離性同一性障害
実際の精神医療においては、専門家による適切な診断や支援が不可欠です。正確な情報や統計については、以下の公的機関・資料をご参照ください。