ドラマや映画の中だと、初対面の印象がお互いに最悪なほど物語は展開する。しかし現実はどうだ?
9割の人間は、自分に対して礼儀をはらわない者を「嫌う権利」を持ち「離れる自由」を選択できる。もちろん私もそうすべきだったし、そのつもりだった。
けれど、2つの理由でそれは叶わなかった。
ひとつには国が定めた義務があり、もうひとつは――。
心のSOS:最悪の出会いから始まる希望の対話~奏多さんの2度のHELP
「この奏多さんってかた、1月と5月にクリニックにもメールを送ってこられています」
「えぇっ、そうなの?」
「でもメッセージ内容は空欄で」
「どれどれ……?」
看護師の小林さんと田中さんが大きく一歩下がり、私はパソコンと向き合った。確かにメールアドレスは同じだ。
メッセージ内容が空欄では返信がもらえないということに、1通目からは半年、2通目からは1ヶ月経って気づいた奏多さんがようやくしぼり出した「二分脊椎」と「ASD」の二言。
2人の看護師が(どうするんです?)と言いたげに私の横に並んだ。彼女達の援護射撃に勇気をえたように、タイミング良く――悪くか?――奏多さんから立て続けにメールが2通届いた。
「言いたいけど言葉に出せない」
「それが悩み」
小林さんが私の顔を覗き込む――「先生?」
「なーに?」
「二分脊椎は専門外としても、ASDの相談にはのれるんじゃ……」
「そうだねえ」
「返信してあげませんか」
「そうだねぇ」
相当な覚悟か思いやりの拒否か
ASDはたしかに私の専門「内」だ。しかし奏多さんのばあいは二分脊椎という重い病気とASDはおそらく切っても切り離せない。
- ASDが持つ特性による悩み
- 二分脊椎を起因とする女性特有の悩み
- 上記2つと並走しながら必死で生きてきた彼女のもどかしさや苦しみ
- [1]ゆえに[2]の悩みにうまく解決策を見つけることができないという悩み
おそらくこういったところだろう。私にできるだろうか。奏多さんの人生の一部を引き受ける責任と覚悟はあるだろうか。途中で「できない」「わからない」「やーんぺ!」と投げ出すことは許されない。
彼女を見捨てない覚悟がなければ、中途半端に相談にのるべきではない。この場限りの優しさは逆に彼女を落胆させる。さあ、どうする私――(つづく)。