子どもに情緒的に関心を向けることができなかった祖母に育てられた母は過関心→過干渉→虐待→支配→洗脳と毒親のステップを悲しいほど順調に踏んで、私たち姉弟を苦しめました。
父はそんな妻に真正面から何度も向き合って解決に導くことはせず、力づくで母を抑え込もうとし怪我を負わせて救急車を呼ぶ羽目になったり、罵りあう声が聞こえないことが珍しいという家庭環境に育ちました。
精神的自由と無敵な私
弟2人を実家から切り離し、安心できる大人のいる場所に住まいを移させ、私自身は上京。勉強もしたけれどそれなりにキャンパス生活も楽しんで大学院に進みさらに勉強。恋もしたし仲間もできました。
親の監視や管理、過干渉のない「精神的自由」のある暮らしは幸せでしかなく、これから先に起こるかもしれないどんなつらいことにも耐えられる「無敵な私」になれたような気がしました。
彼からプロポーズめいたことを言われるその日までは――。
結婚はできない、子どもは一生いらない
多くの女性にとって恋人から受けるプロポーズは喜ばしいことなのかもしれません。しかし私にとっては、背中にやっと生えた大きな羽が強引にもぎとられそうな痛みをおぼえました。
ようやく自由に空を飛べていたのに、その権利を私から奪わないでほしい。
結婚となると、両家の顔合わせがあったり戸籍を動かしたり、どうしたって実家の親と再び接点を持たなければなりません。地獄の日々がまた始まってしまう。親元を離れて安穏を手にしている弟たちのことも巻き込んでしまうかもしれない。
結婚はできない。
いいえ、結婚なんてしたくない。
子どもも持ちたくない。できれば一生。
相当な覚悟を持ってプロポーズをしてくれた彼に「別の人生を生きたい」と説得をしなければならないのは、非常に胸の痛むものでした。私が逆の立場ならばどれだけつらい説得をされているのかと…。
事実婚という選択肢
「俺のことが嫌なんじゃなく、ご両親とつながりができることが嫌なだけなら、事実婚はどう?」※こちらのブログにかつて書いたことがある「色の見え方が違う、モノクロの世界で生きてきた彼」がこの人です。
姉妹の子ども――彼にとっての甥や姪――さえ、苦手だから…と一度も抱いたことがない彼と私の「子どもを一生持ちたくない」という思いは一致。
「俺の両親は真由ちゃんにすごく感謝してるから、正直に理由を話せば事実婚を含めてすべて受けいれてくれると思う。俺の親はそういう親だから心配いらないよ」
彼の言うとおり、彼のご両親に私の事情は受けいれられて、今では珍しくなくなった事実婚がスタートしました。けれど、私は彼ほどこの結婚を喜べなかった。
ASDとADHDの合併があった彼は、ご両親の言葉を疑いもなくまっすぐに受けとめていましたし、彼のご両親は本当に立派な方で人の痛みを想像することができる心の豊かな方々でした。
婚姻生活中、ただの一度も「孫」を本当は望んでいるといった様子を見せられたことはありませんし、もちろん言われたこともありません。私の親について聞かれたこともなければ、いつか会わせてほしいといったことも言われた記憶がありません。
しかし、甥や姪を見つめるお義母様の優しい目じりやお義父様の猫なで声を聞いていると、私の家族の問題や諍いにこの方たちをいつまでも巻き込むべきではないと現実を突きつけられる思いがしました。
そうして「長男の息子や娘」を抱くこともなく、義母が突然死。
彼の落胆と後悔をそばで見ていると、やはりこの結婚は正しくないとはっきりと気づかされました。傷口に塩を塗るような真似はしたくなかったけれど、彼との事実婚は解消。
虐待の連鎖を封じるカウンセリングの開始
心療内科を志しながら、「虐待の連鎖」を絶対に起こさないためのカウンセリングを私自身も受けることを決めたのは、元夫の一言がきっかけでした。
「母が死んではじめて、自分の家族がほしくなった」
人の死や誕生、大きな災害は死生観をあたりまえにかえます。彼の価値観の変化に傷ついたわけではありません。彼との婚姻中に、2人で飼っていた犬の出産に立ち合ったことがきっかけでした。
3か月間、睡眠を削って注射器や哺乳瓶でミルクを与えたり、離乳食をつくって食べさせたり。子犬と母犬の世話は私の心の頑なな部分を思いのほか柔らかにしました。
生まれて初めて『私の家族』ができたような気がしました。
けれど「適切な躾がわからない」。
そんな自分に愕然としたのです。可愛がることと甘やかすこと、必要な躾と不要な叱りの境目「ボーダーライン」がわからない。これを学ぶには「育児」「教育」の認知の歪みを矯正する必要がありました。
毒親育ちが30歳になって思ったこと
事実婚ではありましたが、若い結婚は私に様々なことを教えてくれました。学生でありながら妻でもあるという「兼業」の大変さ。義理の両親との適切な距離感。自分が育てられた環境がいかに『普通ではないのか』。
ADHDやASDの特性を持つパートナーとの暮らしの工夫。犬ではありますけれども…授乳期や育児がいかに気の張るもので、一瞬たりとも気の休まらないものであるか。
キャリアのための研修を重ねながら、「健全な親子関係」の認知の歪みの矯正のトレーニングも受ける日々はくたくたで、睡眠不足がいかに心身に負担を強いてしまうものなのかも身を以て体得しました。
可愛がることと甘やかすこと、必要な躾と不要な叱りの境目「ボーダーライン」がはっきりと目に見えて、自分から99%の不安が消え去った頃、私は二児の母親になっていました。