大学生時代に付き合いはじめ、そののちに結婚離婚をした元夫はASDとADHDの合併があり、彼の父上はLDと音位転換がありました。
尚、離婚理由は彼らの特性にはまったく関係がないため、ここでは省略致します。そればかりか彼らと過ごした日々は、心療内科に勤務する私にとって今なお役立つことが非常に多いのです。
たとえばそれはこういった形で――。
クリニックに来院されるお子さんに「もしや…?」と思った際に聞くことがあります。
傍らにいらっしゃる保護者は「この先生はなにを聞いているの?」という表情をなさることも少なくないのですが、それよりもお子さんの回答にギョッとされます。
子どもたちの色覚の違い|色覚異常の発見
中学生男子
「ねえ、君が毎日見てる景色は何色?」
「白色と黒色」
高校生女子
「ねえねえ、あなたが毎日見てる景色は何色?」
「白色と黒色がぼわっとしてるけど、たぶん…」
小学生女子
「今日ここに来るまでの街や空やこのビルは何色だった?」
「白と黒のてんてんてんに少し赤(茶系の赤)」
小学生男子
「毎日見てる景色は何色に見える?」
「ん~わかんない!」
診察室の窓から見える青い空を指さして
「あの色は何色?」
「お母さんは青だっていうけど、青がわかんない!」
「じゃあこの色鉛筆の中に空に似た色ある?」
「これ!(墨色)」
色覚異常がもたらす日常の困難
いわゆる色覚異常というものですね。視覚に感覚過敏や感覚鈍麻があると、色の見え方がアーティスティックだったり、色から受ける刺激が日常生活に大きな支障を与えることも少なくありません。
日本は「正しいかそうではないか」を重要視するところが今なお根強くあるため、たとえば…信号機の色は「青・黄色・赤」と答えなければ「おかしい」とされることが多いですよね。
でも、信号機の色が「青・刺激が強すぎてわからない・茶色や薄いグレーや青(!)」に見える/見えない人達は思うよりも多くいます。
なーんだ、そんなことくらい。
べつに困らないでしょ! ではないんですよね。
「信号が赤い時は渡っちゃいけません」
赤くないから渡っちゃえ!
「信号が黄色く点滅している時は渡らず停まりなさい」
黄色なんてないし、(刺激が強すぎて)見えないから渡っちゃえ!
「リンゴをどうして灰色で描くの?! リンゴは赤でしょ!」
…どういうこと? 僕の目にはこれは灰色に見えているのに。どうしていつも叱られるんだろう。絵を描くのが怖い…絵の授業は嫌いだ…
色覚異常がある人は、ない人に比べると日常生活でそうとう疲れているはずです。見えていないものを、マイノリティの声に合わせて見えているふりをしながら生きるってしんどいですよ。しかも視覚の感覚過敏があるなら尚のこと。
「どうしてうちの子の色覚異常に気がつかれたんですか?」とたびたび保護者や、患者本人から問われますが、こればかりは20年の臨床経験によるものとしか答えることができないのですが
「あれ? なんかひっかかるぞ…?」って思うんでしょうねー。
発達特性のある人に色覚異常があるわけではなく、色覚異常がある人の中に発達特性を持つ人がいるだけですので、「絶対にこう」みたいな決めつけはなしでオッケーです。
ここで30年ほど昔にタイムスリップします。
元夫とまだ恋人同士だった頃のことです。交際3年目くらいでしたでしょうか、彼の運転する車で海に向かってドライブをしていた早朝だったと思います。
「小学生の時に、友達が海は青くていいな! って俺に言ったの」
「うん」
「同じやつが夏休みに俺を遊びに誘って言ったの、ほら見ろよ。今日は空が青すぎるぞ! って」
「うん…?」
「俺ね、俺の見えてる景色はずーっとモノクロ写真みたいに白と黒とその濃淡しかなかったんだ」
「へっ?! なにそれ」
「夏の海も冬の海も俺にとっては黒の濃淡」
「おお…そりゃなかなかきついね」
「でも君と付き合ってから色がわかるようになってきた」
「見えるの?」
「見えるんじゃなくて、わかるの」
「どういうこと?」
「…見えるんじゃなくて、わかるの」
これに関してはこの道20年ですが、正直いまだに100%は理解ができません(笑)たぶん感覚的/心理的なものなんだろうと思います。
交際期間や婚姻期間に彼は「今日はいい天気なんだねー」と、言うようになってきていました。
空は一定して灰色の濃淡があるだけだった元夫は、肌に伝わる「太陽のぬくもり」や鼻に感じる「晴天や雲のにおい」、視覚がとらえる灰色の薄さ、そして「理解者がそばにいる安心感」から空の青がわかるようになってきたんだと思います。※離婚後、実際に言ってた
「今日はいい天気なんだねー」
「外国の人が覚えた日本語みたいですな」
「ふつうの日本人ならどう言うの」
「今日はいい天気だねー」
「そっか!」
「今日の空は青そうだねー(笑)」
この出来事がきっかけで、当時若かった私は発達障害の特性のある人には色の見え方が異なる人がいるということを経験として知りました。
発達障害の特性を持つ人たちが通うショートケアやデイケアでは、アートなプログラムを取り入れているところも多いです。そこで色覚の違いが見つかったり、アーティスティックで豊かな色彩の才能が発掘されたり、新たな一面の発見も。
生きづらさが武器や魅力になる、そんな日が多くの人にひかくてき平等にくればいいなと思っています。〔©カウンセラー真由〕