奏多さんは「二分脊椎」と「ASD」という生きづらさを持って、私の前にやってきた。当ブログ・あたらしい今日の問い合わせメールに「二分脊椎」と「ASD」の二言のみを書いてやってきた。
最悪の出会い
⦁ 敬語はつかえない
⦁ 挨拶もない
⦁ 文章じゃなく単語の投げ捨て
「無礼な奴」――メールではあれど初対面の印象はこれ以上でもなくこれ以下でもなかった。
それになにより「二分脊椎は専門外」である。彼女が望んでいる可能性があるとおぼしき治療行為をなんら提供できない。よって私はその旨を返事した。すると「ASDも?」ときた。
最悪の交流
「ASDは無知じゃないですよ」
「言語化苦手」
「通話が良いということですか?」
「✉」
⦁ 敬語はつかえない
⦁ 挨拶もない
⦁ 文章じゃなく単語で返信
⦁ 絵文字で返信
「無礼な奴」再度思った。専門家だって人の子である。当たり前に持ち合わせた感情として好き嫌いはあるのだ。それを盾におざなりに向き合うことはしてはならない。ただ、長年の経験から私は知ってもいた。
目に見えている姿だけが、本当のその人ではないということを。
気分はまったくのらないけれど、仕方ない。話くらいは聞いてみるか。このブログ「あたらしい今日」ではカウンセラーという肩書だから、本業より自由度はあがる。
「二分脊椎」と「ASD」という生きづらい名札を下げた奏多さんと私の出会いは、このように最悪であった――(つづく)