3人の子を持つ母親です。
息子たちには、女の子が個室であなたと2人きりになることを拒まなかったからといって「俺に好意がある」「心身ともに許してくれた」なんて絶対に勘違いするなと彼らが中学生の頃から教えてきました。
娘には、「俺と個室で2人きりになることを嫌がらなかったから、俺に好意がある」「俺に心身ともに許してくれた!」と勘違いする男子が少なからずいると、彼女が中学生の頃に性教育とセットで教えました。
当時、夫と私はなんの疑いも持たずこのように教えました。
昭和20代生まれの父の教育

私自身、高校生の頃に父親からまったく同じ教えをうけました。
「男とはそういうものなのだ。俺が言うんだから間違いない」と、妙に力強くわずかにバツの悪そうな表情を浮かべた父を見て、男性と個室で2人きりになることの『意味』について知りました。
個室というのは男性の部屋・ホテルのルームに限らず、たとえばカラオケボックスや男性の運転する車に乗ること等も含みます。
子どもを産み育てるなかで、わが子が加害者にも被害者にもなりえる怖さをおぼえ、性教育や男女のことについてきちんと教えなければと――冒頭の記述に至ります。
しかし当時、中学生だった娘が言ったんですね。
好きな人と2人きりになることに「覚悟がいる」なんておかしい
誰にも邪魔されずに彼氏と2人でお喋りをしたり動画を見たくても、ダメなの? 男の人は彼女と2人でただ仲良くお喋りしたり、ネトフリ見たりゲームだけをしたいって思わないの? いつもそういうことがセットなの? …なんかヤダな。
考えもしませんでした。
男性の部屋に行くこと、男性と個室空間で2人きりになること。それは即ち「あなたを異性として嫌いではない(なんなら好んでいる)(うけいれる覚悟がある)」というサインになると、ずいぶん昔に父からも、暗黙の了解のように世間からも教えられ、疑うことすらしませんでした。
「そういうものなのだ」と、あの日の父と同じように思い込んでいました。
でも確かに娘の言うとおりでした。肉体的接触がなくても、好きな人と同じ空間で同じ時間を過ごし、同じものを見て笑う時間って代えがたいしあわせ。
それを「気をつけなさい!」と性的な部分にフォーカスをあてて教えなければならないことこそが、怖いことで、歪んでいるんだと、子ども達を通じて教えられました。
長いあいだ、性被害に遭うのは圧倒的に女性が多いのだから「女性は被害者」「男性は加害者」というすり込みが根深く広くあったと思います。
助けて、苦しいと声をあげることのできる女性だって少なかったあの時代に、被害に遭われた男性が声をあげることは極めて難しかったでしょう。しかし時代は移ろい、今や性被害に遭われた男性も少しずつ声を挙げられるようになりつつあります。
男性の部屋に行くなら「うけいれる気がある」と見なされてしまうから気をつけなさいというような、歪んだ教育をせずに済む時代がようやく幕開け、過渡期に向かってゆっくりと進んでいる気がします。

心とからだの不調を治したり、カウンセリングをすることを生業にしています。それ以外にも10代・20代の若い世代の男女から恋の相談をうけることも、わりとよくあるんですね。
息子くらいの年齢の男の子の恋がクリスマス前に成就しました。3度目のデートは車で夜景を見に行くつもりだと、胸の高鳴りが声にまで溢れていました。
「プレゼントは車の中で渡した方がいいんでしょうか、それとも家まで送っていって降ろす時がいいんでしょうか」
「花束とか大きなものをトランクに入れてるなら、降りる時がいいけど、そうじゃないなら車の中が嬉しいかも✨」
「あとはなにを用意すればいいですか?」
「フリスク?」
「なんでですか?」
「チューするんじゃないの?」
「しませんよ、相手も同じ気持ちとは限らないですし、それ目的だと思われるのは嫌です」
「ごめんー」
あの頃、中学生だった娘に教えよう。
好きな女の子と、そういうことがセットじゃなくても、ただ一緒にいたい。素敵な夜景を見て「綺麗だね」と笑い合いたい。そんな男の子がひとり、またひとりと増えてきているわよと。


でも…正直な気持ちを述べられるならば。
母として、医療にたずさわる者として、性被害の惨い現実も知っている者としては、それでもやはり「気をつけなさい」と言わざるを得ないところもあります。誰もが皆、一様に正しい性認識や刷新されたジェンダー意識を持っているわけではないためです。
性差や年齢に問わず、誰しもが尊厳を踏みにじられず安心して暮らせる国になればいいなあと願ってやみません。